2012年5月22日火曜日


 (16) 奥の細道 「平泉」

藤原三代の栄華。平泉を訪れた人達は、一様に、時代の有為転変を、不思議のように味わうだろう。それほどに、丘稜 と林に囲まれた、あまりにものどかな田園風景が此処には広がる。中尊寺金色堂で語られる、黄金の文化の、面影はどこにもない。毛越寺の隣、王家の居館跡 の、巨大な敷石の群れを眺めても、この感懐は変らない。しかし、清衡、基衛、秀衛、・・・・・・・なかでも、三代目・秀衛が治める王国は、特に、強い勢力 を近隣に謳われていたという。

此地で、16歳の少年・牛若丸が、厚く庇護されるようになった経過は省こう。
それより以前、「保元の乱」では味方として、それぞれの親族を破った二人・・・・・、平清盛、源義朝が、次の「平治の乱」で、遂に雌雄を決することにな る。敗れた義朝の遺児たちは、四散して、やがて1180年(治承4年)になって、頼朝のもとに、成人した姿を見せることになる。

しかし、実の父にも勝る庇護者・藤原秀衛は、繰り返し、義経の出征を、押しとどめた。この賢者の目には、「事の行末」があまりにもよく見えていた。義経の 内にたぎる、源家の血がなせる業なのか。あるいは、生れついた戦略家としての才が、そうさせたのか、・・・・・・後世にまで語られる、「肉親相食む源家の 血筋」という運命に自らを投げ入れて行くことになる。

次兄・範頼が、数ヶ月を要して停滞した戦線を、義経は、僅か一ヶ月そこそこで収拾した。「一の谷」に続く「屋島」、「壇ノ浦」での完勝、そして平家の滅亡である。
北条家を中心とした、関東武者たちの権謀術数、源家総大将・頼朝の生まれながらの猜疑に歪んだ術策・・・・・、この環境で義経は、つまり、政治的感覚の全 く欠如した「軍事的天才」は、やがて、反乱者の汚名を着せられることになる。義経の逃亡生活は、京を中心に吉野にまで及んだ。そして、彼の行き先は、結 局、平泉しかなかった。
陸奥の王・藤原秀衛は、わが事のように喜び、義経を心から迎えた。

藤原四代目・泰衡は、いかにも暗愚の将として、今日に伝えられている。父・秀衛の遺訓は、たしかに、胸の奥に常に残っていた。「今日の源家の天下は、一 人、九郎殿(義経)の才によって、成し遂げられたもの。この九郎殿が、居るかぎり、ここ平泉王国は、誰が狙おうとも微動だにしない」。にもかかわらず、泰 衡は、鎌倉政府の執拗な要請に従ってしまう。
泰衛の急襲を受けた義経の陣容は、あまりにも手薄だった。今日にも残る「義経堂(高館)」を中心とした奮戦も及ばず、全軍が敗死した。

「弁慶の立ち往生」。少人数の守勢の先頭に立っての、忠臣・弁慶の大往生。全身に数十本に及ぶ矢を浴びていた。幼い頃、母親たちの口をとおして聞く物語。 この伝説(衣川)は、牛若との出会い(京・五条大橋)と同様、真偽の程は明らかではない。だが、衣川に北上川が交わる辺りの古戦場の姿は、丘に密生する木 立の隙間を通して、いかにも物悲しい。
「暗愚の将」とは言っても、藤原泰衡は、その王国の総大将に違いなかった。王国の多勢が、事を成就する・・・・・・・、そのとき、もう一つの悲劇が、僕の 想念に入り込む。日ごろ、義経びいきとされた豪胆な弟・忠衛も、兄・泰衡の攻撃によって、討ち死にした。後世に数多く語られ、伝えられてきた、肉親相食む 源家の相克は、ここ奥州の地にも波及したのだ。

稀代の軍略家・義経の首級が届けられれば、兄・頼朝にとって、また鎌倉軍団――、この恐るべき侵略集団にとって、もはや敵は無いに等しかった。藤原王国の滅亡は当然の帰結であり、義経亡き後、その帰結は、目前の出来事に過ぎなかった。

「衣川」とともに、芭蕉の記述にある「和泉が城」とは、あの不運な藤原忠衛の居城である。・・・・・・夏草や、つはものどもが夢のあと。

詩人・松尾芭蕉の俳句と叙述に、ロマン的描写を見出すことはできない。中世文学(平家物語、太平記など)に特有の「叙事的記述」の影響かもしれない。僕は・・・・・、そして多くの人達は、義経の悲運、また忠衛の無念を、この短い詩句に見出すことになる。


[後日談]
奥州侵略後、源頼朝は、今度は弟・範頼を粛清する。まるでスターリン、と僕は思う。だが、スターリンの死後、この政権を支えた、副首相マレンコフ、 GPU(KGBの前身)長官ベリアの内部抗争を経て、やがて、ブレジネフ、フルシチョフたちによって、スターリン一家は消滅する。

頼朝死後、後継者、頼家と実朝の宿命的な相克。頼家に替って宰相となった実朝は、頼家の子・公暁によって暗殺される。暗殺者・公暁は、「乱心者」として処罰され、頼朝直系の血筋は完全に絶えた。
全ては北条家の謀略である。子息達は、父・時政に倣って、源家の後ろ盾となりつつ、その滅亡を図った。北条義時の冷酷さは、性格破綻者・頼朝とは違い、時代の実権を掌握する適性と言えるのかもしれない。それは、スターリンに替わったフルシチョフに、いかにも類似している。

  • 編集日時:2012/1/23 18:36:09
  • 回答日時:2012/1/21 18:41:33

 (15) ピエタ

スターバト・マーテル・ドロロサ(Stabat marter dolorosa)の言葉で始まる聖歌は、多くの人々に親しまれてきた。多くの作曲家たちは、16世紀から20世紀へと、長い歴史を刻んできた。――パレ ストリーナ(16世紀)、ヴィヴァルディ(17世紀)、ベルゴレージ(18世紀)、ハイドン(18世紀)、ロッシーニ(19世紀)、ドヴォルザーク(19 世紀)、プーランク(20世紀)、ペンデレツキ(20世紀)などなど。そして、このセクエンツァ(続唱)は、「哀しみの聖母は立っていた」の意を伝えてく る。

質問の「ピエタ」は、この哀しみの聖母を表現した一つの図柄で、キリスト教図像学は、ピエタ像が現れる以前からの「聖母の哀しみ」を定めていた。14世 紀~15世紀末にかけて、それは「七つの喜び」、「七つの哀しみ」として、14の数字になった。14に及ぶ出来事は、聖母マリアが現れる重要な場面とし て、歴史的、崇敬的の意味を持ち、美術の上で表現されてきた。

「七つの喜び」は省略し、「七つの哀しみ」のみを提示する。
1)シメオンの予言
2)エジプトへの逃亡
3)聖殿にイエスを探す
4)十字架を担うキリストとの会合
5)磔刑
6)十字架降下
7)キリストの埋葬

上記5)、6)、7)、つまりキリストの死に伴う聖母の哀しみは、聖母の同感受難(コンパッシオ)として表現されてきた。このコンセプトの内に「ピエタ」 が現れたことは自然な事といえるだろう。だが、例えば、6)十字架降下の画が縦型であるのに対して、ピエタは横型であることを、図像学は明示している。

カトリック信徒たちは、そこから進んで、更に重要な主題を理解していくことになる。それは「ロザリオの十五玄義」だが、その説明もここでは省略しよう。ただ、「ロザリオの祈り」が、「主の祈り、聖母マリアへの祈り、栄唱」の三つから成ることだけを、記しておきたい。

「哀しみの聖母(mater dolorosa)」の表現図の中に、ヴェスペルビルト(ピエタのドイツ語、Vesperbild)が入ってきたのは13世紀の終わり頃、ドイツのケルン においてだった。14世紀に入って、この像はドイツでは盛んに作られた。このヴェスペルの意味は、聖務日課の中で、数えて7番目の晩課の名称であり、ヴェ スペルビルトは、やがて、ラテン語系のイタリア人によって、ピエタと名づけられることになった。イタリア、フランスでは14世紀から15世紀にかけて、こ の像は多く作られたが、ただ、この時期は、ルネッサンス以降とは違い、絵画よりも彫刻に多くの作例を見ることができる。

したがって、質問にある、中世の作品とは言っても、5世紀から始まる約1000年の期間(歴史学が区分する中世)の中で、作品の多くは近世に近い時期から、近世を経て、今日に到るまでの間に多くが創られていった。
しかし、フランスでは「アヴィニヨンのピエタ(1455年、ルーヴル美術館)」以前には、殆んど作例を見ることができない。

一つの例示。僕がしばしば訪れたシャルトルの聖堂は、フランスに数多い「聖母マリアの家(ノートル・ダム・カテドラル)」の中でも、パリと並ぶ歴史を誇っ ている。だが、大火災のあと、ゴシック建築として再現したのが13世紀であるため、「ピエタ像」を、この聖堂内では見ることができなかった。有名なステン ドグラス芸術は、その殆んどが聖母マリアに関する事柄であるが、ピエタが無いということに、僕は初めの頃、驚きを覚えたものだ。

「ピエタ」の作品例を下に示そう。

ミケランジェロ「ピエタ」 1498年 - 1500年 彫刻 (聖ペトロ大聖堂、ローマ)
シャロントン 「アヴィニヨンのピエタ」1455年頃(ルーヴル美術館)
作者不詳 「イエスの死を嘆くマリアと題されたピエタ」 1464年、板画(ルーヴル美術館)
シントヤンス 「キリストの哀悼」1484年、油彩(ウィーン美術館)
ベッリーニ 「ピエタ」1460年、テンペラ(Pinacoteca di Brera美術館、ミラノ)
カラッチ 「ピエタ」1599年頃、油彩(カポディモンテ宮殿美術館、ナポリ)
ボティッチェリ 「死せるキリストの哀悼」 1492年頃、板 テンペラ(ポルディ・ペッツォーリ美術、ミラノ)
作者不詳 「ピエタ」1164年(聖パンテレイモン教会、マセドニア共和国、ネレジ)
リーメンシュナイダー 「嘆き」1510年 リンデンバウム木製 彫刻
作者不詳 「哀しみの聖母」 1230年頃 木製彫刻 (北ドイツ)
作者不詳 「ピエタ」 14世紀中頃 (スタイグ、ドイツ)
マルエル 「ピエタ」 13世紀頃 (ルーヴル美術館)
ドラクロワ 「ピエタ」 1843~44年 油彩 ワックス (サン=ドニ・デュ・サン=サクルマン聖堂壁画、パリ)
ゴッホ 「ピエタ(ドラクロワの模写)」1889年 油彩(Rijksmuseum Vincent van Gogh, アムステルダム、オランダ)

わが国に珍しい「ピエタ」のレリーフ板がある。徳川時代に使われた「踏み絵」だが、この金属板の図柄は単純な「聖母とキリストの図」となっている。東京国立博物館の所蔵品。

  • 編集日時:2012/1/16 08:39:21
  • 回答日時:2012/1/16 01:54:37

 (14) 世界のバレエ団 ベスト6

世界のバレエ団を、僕はベスト・6で考えています。

1)パリ・オペラ座バレエ (Ballet de L'opera National de Paris) (1661年設立・フランス)
2)ボリショイ・バレエ (Bolshoi Ballet) (1776年設立・ロシア)
3)キーロフ・バレエ (The Kirov Ballet) (1783年設立・ロシア)

4)ロイヤル・バレエ (The Royal ballet) (1931年設立・イギリス)
5)アメリカン・バレエ・シアター (American Ballet Theatre) (1940年設立・アメリカ)
6)ミラノ・スカラ座バレエ (Il Corpo di Ballo del Teatro alla Scala) (1813年・ただし学校設立・イタリア)

上記のうち、例えば4)ロイヤル・バレエは、フレデリック・アシュトン、ケネス・マクミランという優れた振付師に指導され、その伝統の輝きが今日伝えられ ているが、それでも設立は第二次大戦の少し前に過ぎない。あの名画「哀愁(Waterloo Bridge 1940年)」のヒロインがバレリーナであることは、映画を見た全ての人の記憶に残っている。だが、舞踏家としての地位の低さが、浮き彫りにされていた。

ABT(アメリカン・バレエ・シアター)の充実過程は、目を見張るものがあった。例えば、ニューヨーク・フィルが、ヨーロッパの優れた演奏家たちを招聘 し、世界をリードするオーケストラの一つになった事実は、学術、芸術を尊重するアメリカの、一つの伝統でさえある。例えば、70年代に、ソ連から亡命した ナタリア・マカロワ、ミハイル・バリシニコフをスーパースターとして受け入れ、やがて芸術監督としての立場を与えるなど、自国の芸術的発展に大きく貢献し た。また、最近までの、スターダンサーとして、イタリアからのアレッサンドラ・フェリ、ロシアからのニーナ・アナニアシヴィリ、アルゼンチンからのパロ マ・ヘレーラなどが有名。当然、こうした環境からアメリカ出身のアマンダ・マッケロー、ジュリー・ケントのような優れた踊り手が輩出した。

ミラノ・スカラ座バレエは、最近まで、日本になじみの薄いバレエ団ではあったが、カルラ・フラッチに加えて、アレッサンドラ・フェリの移籍入団、ボリショ イからスヴェトラーナ・ザハロワの客演が昨今では知られている。しかし、すでに、ロベルト・ボッレ、マッシモ・ムッルなどの男性スターは揃えていた。上記 のA・フェリ、S・ザハロワの「ジゼル」の舞台では、イザベル・シアブラ、マルタ・ロマーニャが見事な「ミルタ役」を踊っている。また、R・ボッレと見事 なペザント・パ・ド・ドゥーを演じたベアトリス・カルボーヌなどの新星が光を放った。

上記バレエ団の1)、2)、3)は、いずれも古い歴史と伝統を誇っている。中でも、ロシアに数多い、優れたバレエ団は、ボリショイ、キーロフに肉薄する充 実を見せている。例えば、キエフ・バレエ、レニングラード国立バレエ、モスクワ音楽劇場バレエなどである。とは言え、ボリショイ、キーロフが輩出させた優 れた舞踏家の数は世界にも類を見ない多さである。例えば、ガリーナ・ウラノワ、マイヤ・プリセツカヤ、ナタリア・べスメルトノワたちが積み上げてきた輝く ような実績は、ロシア・バレエ史を紐解く私達に大きな感動を与えてくれる。

しかし、パリ・オペラ座バレエの歴史は世界舞踏史の中で、燦然と光を放っている。付属学校での厳しいトレーニング、ここでのバレエ団入団試験に落ちた生徒たちは、他のバレエ団に迎えられていく。バレエ団内での昇級試験も厳格を極めている。
1960年、著名な文人アンドレ・マルローが文化大臣に就任以後、フランス芸術界の刷新改革は一段と歩みを強め、この伝統を背負ったパリ・オペラ座バレエ も、クラシック・バレエだけに留まらず、現代舞踊への責務も負うことになった。こうした中から、優れた舞踏家が続々と誕生したが、それに環をかけたのが、 ソ連から亡命したルドルフ・ヌレエフの強靭なコンセプトに他ならない。
パリ・オペラ座出身の逸材は、数え切れない多さである。その中でも、僕は、マリ・クロード・ピエトラガラ、エリザベト・プラテルをこの上ない代表として列 挙する。新しいところでは、アニエス・ルテステュ、男性ではマニュエル・ルグリ、ニコラ・ル・リッシュなどを挙げる事ができるだろう。特にマニュエル・ル グリは、R・ヌレエフが最も期待した男性舞踊家であった。

他に優れたバレエ団を挙げるとすれば・・・・・・・・・。

ニューヨーク・シティ・バレエ
ハンブルク・バレエ
シュトゥットガルト・バレエ
ネザーランド・ダンス・シアター
デンマーク・ロイヤル・バレエ
オーストラリア・バレエ
ナショナル・バレエ・オブ・カナダ

などがある。

  • 編集日時:2012/1/9 20:41:14
  • 回答日時:2012/1/9 20:31:04

(13)  ピアニスト、ラドゥ・ルプ

ピアノ協奏曲23番 イ長調 K.488

期せずして同じ作品が推奨されたようですね。おそらく、皆さんも、僕と同様に、モーツアルトのピアノ協奏曲の殆んど全てが好きなのではないでしょうか。

「イ長調」は、この上ない純粋なモーツァルトが直接的に現われている、と言われている。ピアノ協奏曲としては、他に、12番 K.414があるが、優雅で明るい伸びやかな旋律は、≪イ長調のモーツァルト≫という創意と楽想を示した。この姿がのちの23番K.488の協奏曲で、完 成した形として現われている。だが、ピアノ協奏曲としては、27曲中、イ長調はこの2曲だけにとどまった。

23番では、第一楽章(イ長調)において、管弦楽と独奏ピアノが、同一の主題を奏している。これが、この曲の密度を直接的に高めている。この「イ長調」を 他の楽器の曲にたずねてみよう。例えば、クラリネット曲では、有名なクラリネット協奏曲も、クラリネット五重奏曲もそうであるが、ヴァイオリン協奏曲5番 とともに、ここでも≪イ長調のモーツアルト≫の特色がうかがわれる。

日本では、おそらく市販されていないと思うが、僕がイギリス滞在中にテレビで放映された、次の演奏を、僕としては最も薦めたい。TV放映は2001年だ が、ウィーン・フィル創立150周年(1992年)記念のイベントとして開催された「ガラ・コンサート」の録画である。2001年に録画した、この「ガ ラ・コンサート」は、今でも僕の宝物の一つとなっている。
おそらく、輸入版としては、DVD、CDともに入手できるのではないだろうか。

指揮者が、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院教授のシャンドール・ヴェーグというのも、非常に珍しい。彼は指揮棒を使わず、椅子に腰掛けたまま指揮しているが、独特の味わいを見せている。
ピアニストについて言えば、モーツァルトのコンチェルトでは、優れた演奏家たちの多くが、CD・DVDに演奏を残している。たとえばクララ・ハスキル、ル ドルフ・ゼルキン・・・・・・、新しいところでは、マウリッツィオ・ポリー二、イモジェン・クーパー、アニー・フィッシャー、内田光子などなど、多彩な顔 ぶれである。
僕の宝物は、ラドゥ・ルプの演奏です。モーツァルト、ブラームス演奏家として有名。彼独特のリリシズムが画面いっぱいに伝わってくる。

  • 編集日時:2011/12/28 12:21:32
  • 回答日時:2011/12/27 11:25:40

 (12) ボールルーム・ダンス

[Ⅰ]あるいは御存知かと思うが、ダンスのカテゴリーとして、「社交ダンス」、「競技ダンス」は存在しません。前 者で言えば、「社交的な場におけるダンスパーティー」があるのであり、その場合、つまり「社交の場におけるダンス」とは、音楽に合わせて種々のダンスが、 踊られている。必ずしもボールルーム・ダンスだけではなく、ヒップホップがあったり、ディスコ・ダンスが踊られたりなどなど、参加者の任意に委ねられてい る。後者で言えば、競技会に応じて「競技種目」が指定されているに過ぎません。会によっては、単一の種目であったり、あるいは2種目であったりなどしま す。


[Ⅱ]そこで、日本で言う「社交ダンス」とは、カテゴリーとしての、「ボールルーム・ダンス」のことです。したがって、「Social Dance(社交的なダンス)」という用語を、カテゴリーとして使っているのは、世界中で日本だけです。
このカテゴリーにおける、競技種目をあらためて記してみましょう。

1)スタンダード種目(かつてモダン種目と称されていた)
ワルツ、タンゴ、スロー・フォックストロット、クイックステップ、ウィンナ・ワルツ

2)ラテン・アメリカン種目(しばしばラテン種目と省略される)
ルンバ、チャチャチャ、サンバ、パソ・ドブレ、ジャイブ

ブラックプール(ダンスの聖地と称されている)をはじめとする、大きな競技会では、上記二部門が、それぞれ4種目、あるいは5種目必須とされる場合が多い。


[Ⅲ]質問にある「種目特性」について言えば、これは競技会だけに認められる特性ではない。もともと、あらゆるダンスがそれぞれの特性を備えており、競技 選手に限らず、全ての踊り手たち(ダンス愛好者たち)は、この特性を身につける必要があるでしょう。それは、その舞踏に最も密着した音楽によって、容易に 確かめられます。初心者から中級へ進む過程においても、もし、良質の教師から学んでいるとすれば、生徒たちは、早々と、踊りの各種目における特性を、感じ 取っている筈です。その上で、さらに優れた教師は、必ずといっていいほど、ダンス・ステップの特性を音楽との結びつきで説明しているはずです。

たとえば、スタンダード種目で最もスピードを要するクイックステップに比べて、ラテン種目で要するスピードの速さはそれ以上です。そして、スタンダード種 目で最も「動き」にコントロールを要するスロー・フォックストロットに比べて、ラテン種目における「動き」の遅さは、それほどには必要とされない。すなわ ち、スロー・ムーブメントにおけるコントロールの強さがそれほどに必要視されないということです。

また、例えば、「間(ま)」について、それが日本の芸術の特性であるかのように語られることが多いが、実際は、欧米の芸術においても同様です。この「間 (ま)」のとりかたの重要性は、外国語では「リズム感性の優劣」で語られます。つまり、「リズムと間」は、外国語的感性では「間はリズムに包含される事 象」として語られているのです。そして、このリズム感性は、ダンス修得に欠かせない事柄でしょう。さらに上級者になれば、音楽では決してリズムだけではな く、旋律、そして和音(ハーモニー)の中に融合していくことが、欠かせないこととなるでしょう。

[Ⅳ]ボールルーム・ダンス各種目の特性について、それを詳述すれば制限字数をはるかに越えてしまうでしょう。そこで、僕は、この特性が、細分化された各 種目の全てに特有のものであることを述べました。その上で、ボールルーム・ダンスがイベントとして掲げられている全ての会で、その会に即した規定が守られ るだけで、ダンスそのものの特性は不変である事も述べました。
したがって、あらゆる会において認められる事柄は、参加者の優雅さ(社交的会合)、あるいは、参加者の技量の優劣(デモンストレーション、競技会)に他なりません。当然、上記の「優雅さ、技量の優劣」は、質問にあった「種目特性」の修得に大きく依存するでしょう。

次のサイト参照。
http://nouvellecritique.web.fc2.com/professionaldance1.html

上記のサイトに質問したところ、ボールルーム・ダンスに関する論稿も、来年早々から、「一般公開」になるとのことでした。その内容については、上記サイトのインデックスで参照して下さい。

http://nouvellecritique.web.fc2.com/index.html

企画としては、「ボールルーム・ダンスーーー上級者への扉」というタイトルで、連載の予定だそうです。
質問者さん、あなたの意欲を満たしてくれる内容であることは、間違いありません。

  • 編集日時:2011/12/16 02:17:18
  • 回答日時:2011/12/15 06:15:30

 (11) 芭蕉 と 杜甫

杜甫は、強い政治理念の持ち主だった。したがって、彼の詩には、社会の紊乱、政治の腐敗がしばしば語られている。
西暦756年、混乱の世相のうちに、彼は反政府軍に囚われ、長安(都)で、幽閉の身となった。

芭蕉は、典型的な詩人だった。俳諧の旅路で、殊更、胸打たれた「平泉の情景」に、彼の詩心「無常観」が自然なかたちで顕現した。

「国破れて山河あり、城春にして草木深し」(杜甫)
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」(芭蕉)

杜甫は、自ら在籍した政治体制の崩壊に直面し、幽閉の身として眺める現実の姿を、悲劇的な心情を以って詩に詠んだ。
芭蕉は、目前の風景の中に、藤原三代の栄華と没落、それに重ねるように、源義経と部下達の悲劇を思い起こしていた。

杜甫は、現在進行中の時世についての詠嘆を詩にしたが、芭蕉は過ぎ去った日の(歴史上の)想念を、彼の芸術を創出する「無常観」で詩にした。

杜甫は自ら身を置く現在を、詠った。芭蕉は過去に遡る想念のなかに、無常を詩った。その違いが、「草木深し」(現在)と「草青みたり」(過去)となって、現わされている。

  • 回答日時:2011/11/21 01:44:53

 (9) パリ・オペラ座バレエのエトワール

「最近創刊されてCMが盛んな、「白鳥の湖」のDVD」

とのことですが、主役(オデット&オディール)は誰でしょうか?

僕の知る限り、パリ・オペラ座バレエでは、あなたも記述された
マリ・クロード・ピエトラガラは、最高のバレエ・ダンサーの一人だと思
います。
しかし、アニエス・ルテステュ、オーレリ・デュポンの「白鳥の湖」を、
僕は知っていますが、先記のピエトラガラ、あるいは、もう少し昔の先輩
(ただし、ボリショイですが)のマイヤ・プリセツカヤ、この二人に比べれば、
どうしても見劣りするでしょう。とは言っても、ルテステュ、デュポン、この
二人、当然ながら、エトワールの地位にありますし、あなたが批判され
るほどの欠点は見出せません。

というわけで、すみませんが、あなたが購入されたパリ・オペラ座
バレエ「白鳥の湖」の主役は誰でしょうか、教えて下さい。

  • 編集日時:2011/9/29 16:45:27
  • 回答日時:2011/9/29 16:43:03

 (8) クラシック音楽のすすめ

(1) Mozart―――Requiem D-minor K.626
モーツァルト 「レクイエム ニ短調 K626」。

死者のためのミサ曲、と言われる名曲です。しかし、アメリカの
友人が、結婚式にこの曲を使っていました。非常に素晴らしい結婚式
で、その情景と音楽は、いつまでも僕の記憶から離れません。

管弦楽の荘厳さ、と、合唱の美しさが、聴く者の心を
捉えます。それにも増して、独唱者たち(バス、テノール、メゾ・ソプラノ、
ソプラノ)の独唱、および重唱の美しさは圧巻です。
オペラで活躍している女性歌手たちは、一様に、この「レクイエム」
では、更なる美しさを発揮しています。特に、僕が勧めたいのは、

カール・ベーム指揮、ウィーン・フィル演奏
ソプラノ―――グンドゥラ・ヤノヴィッツ
メゾ・ソプラノ―クリスタ・ルトヴィッヒ

です。CD、あるいはDVDで、鑑賞して下さい。


(2) “Sacred Songs”――――(Soprano) Renée Fleming
“セイクリッド・ソングス”―――ルネ・フレミング

名前はフランス系ですが、アメリカ人ソプラノ歌手です。モーツァルト
のオペラ「フィガロの結婚」では、伯爵夫人を、豊かな存在感で演じ、
モーツァルトの美しい旋律を聴かせてくれました。

ここに紹介したものは、マインツ大聖堂における彼女の独唱を中心
にした演奏会です。オペラの舞台とは違った、清楚な美しさで、数多
いクリスマス聖歌を歌ってくれています。

私は、このDVDを、クリスマス以外の時季に聴くことが多いです。それ
でも、画面の雰囲気は、このコンサートのタイトルに相応しいと思いま
す。

DVD、CDともに、手に入ります。どうぞ、ご鑑賞下さい。


(3) Chopin―――Fantasie Impromptu
ショパン―――幻想即興曲

ショパンの即興に見られる技量は、並々ならぬものがあります。
この曲は、幻想的な雰囲気と共に、現実的な世界の中で、人々の
心に場を占める「美への憧憬」が、美しいハーモニーとして、描かれて
います。
DVD,CD、共にあります。


以上の三曲、どれから鑑賞されてもいいのですが、僕としては、
上記の順番どおりに聴くことを、お勧めします。

  • 編集日時:2011/9/27 07:32:34
  • 回答日時:2011/9/27 06:36:12

 (7) Sleeping Beauty

オーロラ姫→→→→→→ポリーナ・セミオノワ
王子→→→→→→→→ニコラ・ル・リッシュ
カラボス→→→→→→→ウラジーミル・マラーホフ
リラの精→→→→→→→アニエス・ルテステュ
青い鳥とフロリナ王女→→マチュー・ガニオ、アリーナ・コジョカル


ウラジミール・マラーホフが、カラボスを演じるなど……、大変な陣容
ですね。

リラの精について。
ヌレエフ版のように、豪華な衣装の「美しい先導者」であれば、アニエス・
ルテステュのような、優れたバレリーナは、必要でなくなるでしょう。
私は、ヌレエフ版以外で考えています。とすると、この「リラの精」と、「ジ
ゼルのミルタ」には、脇役としての、ある共通性を認めます。それは、「美し
き威厳」と形容したい雰囲気です。「希望を与える」リラの精に対して、
「悲劇を司る」ミルタ……、A・ルテステュは、このいずれをも、見事に体現
できるダンサーであることは、まちがいありません。

  • 回答日時:2011/8/31 14:33:15

 (6) モーリス・ラヴェル

(1) モーリス・ラヴェル―――ピアノ協奏曲ニ長調

……フォーレに似て、また、リストに似て、ラヴェルは右手の型どおり
の優位を覆す。ラヴェルが特に左手を重んじたことは、作品の全てが、それ
を我々に語っているが、とりわけ、「左手のためのコンチェルト」である、片手
の「コンチェルト」がそうである。

ウラディミール・ジャンケレヴィッチが、その著書で、以上のような文を
書いています。ソルボンヌで哲学の教鞭を執る、この人らしい、独自のラヴ
ェル論が展開されています。それでも、ここに紹介した文にあるように、この
バスク出身の作曲家、この彼の本質の一つである「古典主義」を、しっかり
と踏まえた文であることがわかります。

たとえば、「ボレロ」が、二つの旋律を最後まで続け、変化はオーケス
トレーションの変貌からのみ、生れてくるという、かつて例の無い管弦楽曲
を、ラヴェルは、この世に創出しました。これもまた、「古典主義者」としての、
極限への志向に他なりません。

「左手のための協奏曲(コンチェルト)」に戻ります。
左手だけが奏でる曲に、私達は、あたかも、両手によって演奏されて
いる曲であるかのような感銘を受けるのです。古典主義者としての心意気、
躍如たるものがあります。

世紀末(19世紀末)、グスタフ・クリムトの絵画に見られる、当時とし
ては、最も現代的な趣向が、ウィーンを覆っていました。ライナー・マリア・リ
ルケも、クリムト同様、その恩恵に与ったという有名なパトロナージュの実業
家・ヴィトゲンシュタイン一家に、異彩の学者がいました。
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン。ケンブリッジ大学で、ラッセルや、ラ
ムジーなどの同僚として、学問的成果を賞賛されている哲学者です。彼の
すぐ上の兄が、第一次大戦で右手を失いました。この片手だけのピアニスト
のために作曲された曲としても、知られています。

  • 回答日時:2011/8/29 18:29:11

 (5) モーツァルトと現代音楽

モーツァルトの存在、言い換えれば、モーツァルトが作曲した音楽
の存在、その全てが現代音楽に影響を与えました。
ということは、たとえば、カールハインツ・シュトックハウゼンにしても、
ピエール・ブーレーズにしても、そして、多くの優れた現代音楽作曲家
と言われる人々にしても、この人達の存在そのものが、モーツァルトが
与えた影響に他なりません。
この人達の存在、とは、モーツァルトの場合と同様、この人達の
作品のことです。偉大な作曲家と、その作品は、分かち難く結び付い
ていますから。

もう少し細かく説明しましょう。たとえば、不協和音、と言えば、
ドビュッシー、と答が返ってくる。勿論、それはまちがいではない。しか
し、モーツァルトの作品に不協和音が多いことを、多くの愛好家た
ちは知っています。また例えば、「ジュノーム・コンチェルト」で試みら
れた斬新なスタイルは、必ずしも、古典主義的調和を失ってはいま
せん。
このピアノ協奏曲は、「いわゆる名曲揃いのウィーン時代」に先
駆けて、ザルツブルグ時代に作曲した、いわば、モーツァルト若き日
の作品です。当然、その後に続く作品群には、全て「斬新な試み
と共に、古典主義者としての明澄」が、窺えます。

今度は、メンデルスゾーンのロマン主義作品の中に、私達は
モーツァルトに繋がる「見事な均衡」を深く味わうことが出来ます。
これは、ショパンが最も尊敬した作曲家がモーツァルトである、と
いうことと全く同じです。
やがて、20世紀に入り、「現代音楽」というカテゴリが、必ず
しも、隔世遺伝のように誕生したわけではないことを、人々は知る
ことになります。

では、全てのクラシック音楽に、モーツァルトの影響は?
この質問に肯定を示すことはできます。でも、肯定について
の解説は難しいかもしれません。
そこで、わかりやすく、私としては、「少なくとも、古典主義の
継承者たちに、モーツァルトの血筋を認めることは、容易」である
と、申し上げるでしょう。
それは、必ずしも、新古典主義作曲家だけに留まりません。ピエ
ール・ブーレーズに耳を傾けてみましょう。この作曲家、オリビエ・
メシアンというロマン主義的現代作曲家に学びましたが、彼自身
の志向性として、古典主義作曲家に転じました。だが、その後の
彼の作品から、私達は現代音楽の深い姿を、更に見出すことが
できるのです。

  • 編集日時:2011/8/20 01:07:58
  • 回答日時:2011/8/19 02:10:46

 (4) モーツァルトの「レクイエム」

○ モーツァルト レクイエム ニ短調 K.626

カール・ベーム指揮、ウィーン交響楽団。
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
クリスタ・ルトヴィッヒ(メゾ・ソプラノ)
ペーター・シュライヤー(テノール)
ウォルター・ベリー(バス)


「死者のためのミサ曲」ですが、清澄な美しさは、死者
ばかりでなく、生ある人々の心にも、深く染み入ります。私のアメリカ
の友人は、この曲を結婚式に用いていました。非常に素晴らしかった、
と記憶しております。

ソプラノ、アルト(or メゾ・ソプラノ)、テノール、バス、による
独唱、そして重唱、いずれも、旋律とハーモニーが聴く者を包み込
んでくれます。多くのソプラノ歌手たちが登用されていますが、この
アリアの名手たちは、「レクイエム」で、更に、これ以上無いと言える
ほどの美声を聴かせてくれます。

中でも、ピアリステン教会で、カール・ベームが指揮するウィーン
交響楽団のCDを、私は最も愛しています。ソプラノ歌手・グンドゥラ・
ヤノヴィッツの楽器のような声(と、ヘルベルト・フォン・カラヤンは評し
た)の、透き通るような美しさは、他の誰も比べることができません。

  • 回答日時:2011/7/27 03:07:53

 (3) ルネ・フレミング

Renée Fleming “Sacred Songs”
ルネ・フレミング “セイクリッド・ソングス”

ご存知でしょうが、フランス系の名前を持つ、アメリカ人ソプラノ歌手
です。モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」では、伯爵夫人を、豊
かな存在感で演じ、モーツァルトの美しい旋律を聴かせてくれました。

ここに紹介したものは、マインツ大聖堂における彼女の独唱を中心
にした演奏会です。オペラの舞台とは違った、清楚な美しさで、数多
いクリスマス聖歌を歌ってくれています。

私は、このDVDを、クリスマス以外の時季に聴くことが多いです。それ
でも、画面の雰囲気は、このコンサートのタイトルに相応しいと思いま
す。

DVD、CDともに、手に入ります。どうぞ、ご鑑賞下さい。

  • 回答日時:2011/7/19 03:09:17


 (2) 女性歌手2人

(1) Frederica Von Stade (フレデリカ・フォン・シュターデ)
A. モーツアルト 「フィガロの結婚」 ケルビーノ役
G. ロッシーニ 「ラ・チェネレントラ」 シンデレラ役

ドイツ系の名前ですが、アメリカ人、メゾ・ソプラノ歌手です。
ケルビーノ役の歌手は、今までに多勢いますが、ゆったりした
歌い方と、声の美しさで、この人の右に出る歌手はいません。


(2) Renee Fleming (ルネ・フレミング)
Sacred Songs (セイクリッド・ソングス)
A. モーツアルト 「フイガロの結婚」 伯爵夫人役
J. マスネ 「マノン」 マノン役

アメリカ人、ソプラノです。
セイクリッド・ソングスは、マインツ大聖堂(ドイツ)内での独唱
です。クリスマスを中心にした聖歌を歌っていますが、オペラで
見る彼女の存在感とは、また別の美しい雰囲気を漂わせて
います。


(3) Gwyneth Jones (ギネス・ジョーンズ)
R. シュトラウス 「ばらの騎士」 元帥夫人役
R. ワグナー 「ニューベルングの指輪」 ブリュンヒルデ役

イギリス・ウェールズ出身の、ソプラノ歌手です。
彼女の「ばらの騎士」は、指揮者・カルロス・クライバーの
優れた指揮が録画されているDVDは有名です。
ワーグナー歌手としても、著名。特に、パトリス・シェロー
演出の「指輪」は、ピエール・ブーレーズの指揮でも有名。
ブリュンヒルデの声の領域を存分に聞かせてくれます。


(4) Gundula Janowitz (グンドゥラ・ヤノヴィッツ)
A. モーツアルト 「レクイエム」
J. ブラームス 「ドイツ・レクイエム」
A. モーツアルト 「フィガロの結婚」 伯爵夫人役

ドイツのソプラノ歌手です。
全ての女性歌手たちが、この「レクイエム」を歌うとき、一様に
彼女たちにとって、かつて無いほどの美しい声を聞かせてくれ
ます。しかし、ヤノヴィッツの、透明で、それこそカラヤンが
「楽器のような美声」と讃えた声は、誰にも真似のできない
美しさで輝いています。
この「レクイエム」は、カール・ベームの指揮ですが、彼女の
出演は、殆どカラヤンあるいはベームが指揮するパフォーマン
スに限られているようです。

  • 回答日時:2011/7/11 09:25:15

 (1) グスタフ・マーラーの交響曲

グスタフ・マーラーの交響曲、全曲。
一曲を選ぶならば、第2番ハ短調≪復活≫。

1891年、マーラーは、ハンブルク市立歌劇場の首席指揮者として
迎えられた。ここでは、ブタペスト時代と違って、ハンス・フォン・ビューロ
ーの絶大な支持を受け、ブタペスト時代から始めていた≪第2交響曲
≫を完成した。
マーラーの生涯を覆う悲劇の予感は、その多くが常に現実となった
ことで知られている。偉大な指揮者・ハンス・フォン・ビューローの死と共
に、この時期、肉親達の死にも遭遇している。

暗く重い冬景色。ロシアの大地を覆う厳しい気候は、そのままドストエ
フスキーの世界でもあった。勿論、ドストエフスキーは風景作家ではな
い。人間の内奥、その見えざるところを描き切る作家であった。そして、
誰の目からも明らかでない混沌の世界が、彼の小説の色調であり、
また、ハーモニーでもあった。
だが、「人間の混沌」の中に、「人の子」キリストと精霊の実在を、
読者は必ず、感じ取っていく。苦悩と悲劇が織り成す世界の中で、数
条の光明は容易に見出せないが、その感得は決して不可能ではない。

その死後、約50年を経て、マーラーの偉大な芸術は脚光を浴びた。
ブルーノ・ヴァルター、レナード・バーンスタイン・・・・・・、二人の偉大
な音楽監督が、「今日の隆盛」に大きく寄与したことが知られている。

私は、マーラーの作品に、ドストエフスキーの世界を見出す。そして、
その世界の片隅に存在するだけの「キリスト教の祈り」が、いつか、こ
の世界に行き渡っていく、「混沌の中の調和」を深く実感する。

今日、グスタフ・マーラーの諸作品は、多くの指揮者達の演目となっ
ている。先に書いた二人のイスラエル系アメリカ人指揮者のほか、
サー・ゲオルグ・ショルティ、サイモン・ラトル、小澤征爾、等々・・・
・・・。
DVDとしては、2003年、ルツェルン音楽祭オープニングの公演が
ある。ベルリン・フィル勇退後、新生ルツェルン祝祭管弦楽団を指揮
した、クラウディオ・アバドも亦、マーラー芸術に打ち込んできた一人で
ある。
マーラーの交響曲の幾つかには、独唱と合唱が入った楽章がある。
このルツェルン音楽祭では、エテリ・グヴァザヴァ(ソプラノ)、アンナ・ラ
ーション(メゾ・ソプラノ)が参加し、共に美しい声を披露した。

  • 回答日時:2011/6/17 14:24:41